一般例会No.724

銀峯山(614m)・竜王山(618.9m)歴史探訪シリーズ No.48 例会記録

概要

『天誅組の足跡をたどります。今回は天誅組本陣跡から吉野三山の一つ銀峯山に登り南朝ゆかりの堀家住宅に向かいます。天誅組と別ですが堀栄三のことも調べたら面白いですよ』

日時

2022年6月5日(日)

天候

晴れ

担当

小椋勝久、前田守

集合

9:10 JR五条駅(近鉄・阿部野橋駅7:50発吉野行き急行乗車 吉野口駅乗り換えJR和歌山線橋本方面行き乗車 五條駅下車)

行程

五條駅⇒(タクシー)西吉野コミュニティーセンター~銀峯山波宝神社~竜王山~堀家(賀名生皇居跡)~賀名生歴史民俗資料館⇒(タクシー)JR五條駅

参加者

村木とも子、村木正人、原康子、大森朋江、森本善博、杉本康夫、脇本勇二、神阪洋子、三原秀元、駒井万生子、小椋美佐・・・ 計13名

西吉野コミュニティーセンター前でリーダからスタート前の挨拶

ポツンと一軒家のような家の横から登山道が始まった

銀峯山波宝神社の大きな鳥居をくぐると急な坂道が続いた

立派な波宝神社本殿。その裏に銀峯山頂があった

神社境内でリーダより天誅組の講話を聞いた。

銀峯山の下りからは遠くに大峰の山々が見渡せた。特に大日山が特徴的なので分かりやすい。

竜王山の登りは柿畑の横を登って行った

竜王山頂にアンテナが建てあり、周りが樹木に囲われていて展望がきかない、ひっそりした山頂だった

竜王山からの下山時、五条市内や奥に金剛山が良く見えた

農家レストランの入り口のツツジが満開なので集合写真を撮った。レストランは予約制の為、入れなかった。

賀名生皇居跡、古いかやぶきの家で今はレストランになっていた

五条駅にて解散をした

 

 天誅組は幕府追討軍を迎え撃つため銀峰山に本陣を置き本陣には中山忠光、伴林光平が残り広橋峠に橋本若狭、樺ノ木峠に水郡善之祐を配置し追討軍と苦しい戦いをし、敗走して行く。

 西吉野コミュニティーセンターの東側に盲腸のように伸びた尾根の取りつきから銀峯山に向かって歩き始める。あまり人が歩いてないのか荒れた農道を県道と交差しながら歩くと途中で民家がありお年寄りが散歩しているのを見る。こんな高いところに住んでいるのかとびっくりする。

 途中銀峯山東側の中腹より大峰の山々を見ることができあれが大日、八経などと皆で盛り上がるしばらく歩き尾根に出ると農道に沿って大きな鳥居が現れる。波宝神社だ、境内まで行き裏手にある銀峯山へ行く。銀峯山には三角点はなく標識があるだけだ。境内で食事をとり恒例の講和を始める。拙い講和だが皆さん真剣に聞いてくれるので申し訳なく話す、次回はもう少し面白くと、いつも思うがうまく話せない。

 途中竜王山に行き国土地理院の地図にも記載されてない農道を歩き堀家住宅へと向かった。重要文化財堀家住宅は民間の施設になっており中には入れないが当時の面影を伺うことができる。

 門には吉村寅太郎の筆による「賀名生皇居」の扁額(レプリカ)がかかっており天誅組の皇室への思いを読み取ることができる。隣の資料館でタクシーを呼び駅で解散し帰途へとつきました。

記:小椋(勝) 写真:前田