一般例会No.716

和泉山脈・大川峠(152m)~紀淡海峡 例会記録

概要

『高森山から大川峠~深山砲台跡(休暇村・紀州加太近辺)の間には戦時中、軍道があったようです。今では、ほぼ廃道になっています。途中には立派な石組みの切通(軍道?)や、入口がほとんど埋まっているレンガ作りの豪、円形のコンクリート製基礎が雑木林の中に眠っています。休暇村・紀州加太近辺には、終戦まで使われていた砲台跡や弾薬庫が整備され残されています。ここを一巡し、和泉山脈が紀淡海峡に沈む浪打ちぎわまで行きます。この辺りには水雷の発射台といわれている残骸があり、興味深いものがあります。今まで4回例会を設定しましたが都合がつかず未完成です。今回は、この例会を再開するものです』

日時

2022年3月27日(日)

天候

晴れ

担当

翁長和幸、西村晶

集合

9:45 南海・多奈川駅改札口前(南海・難波駅8:45発 特急サザン7号和歌山市行き乗車、5番線ホーム 9:30みさき公園着 多奈川線乗換え、9:35発多奈川行き乗車 9:41多奈川駅着)

行程

南海・多奈川駅⇒大川トンネル⇒休暇村園地駐車場~大川トンネル加太側入口手前の小涸沢~和泉山脈稜線~大川峠~深山砲台跡~紀淡海峡浪打ちぎわ(水雷の発射台跡?)~休暇村・紀州加太~休暇村園地駐車場⇒南海・多奈川駅

参加者

石上幸代、西向美保子、中川由紀、中村仁紀、喜多田恵美子、村木とも子、寺島直子、前田守、佐野雅美、脇本勇二、木下春雄、森本善博、三原秀元、西村まさみ、砂山友子、田中喜久枝、原正和、原康子 ・・・ 計20名

10:05 紀州加太休暇村駐車場にて本日のコース説明と新入会員の紹介

大川トンネル手前の谷沿いの山道に入る

かすかな踏み跡を探しながら標高180mの稜線に出るとレンが造りの大川山保塁跡が現れる

11:25 道幅の広い大川峠の稲荷神社に出る

峠道の脇には陸30の軍道道標がありました

11:50 旧道大川峠道路上で昼食を頂く

峠より砲台跡方面に向かう

12:30 古さを感じさせないレンが造りの深山第一砲台跡と弾薬庫周辺を探索

砲台跡の説明には当時の写真もありました

地下深くに弾薬庫がありました

展望台より望む友ヶ島と淡路島遠くに四国も見えました

お天気が良いので遠くに明石大橋も見えました

由良要塞の歴史

海軍の道標もありました

紀淡海峡波打ちぎわに海軍由良水雷発射台跡

14:05 駐車場で解散する。 桜は2、3日後に咲くかな

 休暇村園地駐車場にそれぞれのマイカーで20名が集まった。大川トンネル加太側入口手前から、208mの西の主稜線にあがる。ここからは獣道も何もない。どこも雑木林でモヤァーと広がっている。大川山堡塁跡までの200m弱が難儀なコース取りとなる。前回は結局ルートが分からず、この辺りから下山した。今回は地図上でコースを作りGPSに入力してきた。たびたびチェックし進む。雑木林の中に立派な擁壁が現れた。大川山堡塁跡である。ここまで藪漕ぎも無くうまくたどり着いた。

 擁壁から右手の小さい空き地に、ほとんど埋まっているドーム状の開口部が目にとまった。弾薬庫と思われる。大川山堡塁はまだ未調査で雑木林に埋もれたままである。ここの西側にはお地蔵さんとお稲荷さん、神様が3ツ並んで祀られている。右読みの地図(多分、戦前の地図)では、ここが大川峠だと記載されている。昔は紀州越えの峠道だったのだろう。お地蔵さんの横には軍道を示す「陸 三〇」の石柱が倒れている。石垣が崩れ歩きにくいがハッキリとした軍道が車道まで下っていく。登り返して大川峠より西の深山第一砲台跡へ。発掘調査中の砲台跡を過ぎて整備された軍事遺産を巡る。四阿のある広場からは地の島、友ヶ島、淡路島が手に取る様に眺められる。紀淡海峡の景観は誠に素晴らしい。これより和泉山脈終焉の海岸まで下る。途中には「海軍」の石柱がたっていた。この道沿いにも軍事遺産が点々とあり調査中らしい。さらに下ると目の前に海があらわれる。ついに和泉山脈の終わりまできた。記念に全員で写真をとり、駐車場へ戻った。

 高森山から旧大川峠までは「雑木林でモヤァーと広がっている」と先に述べたが、地図上でも分かりづらい地形である。今日はGPSにお世話になった。

 今回は和泉山脈終焉の地である「紀淡海峡の波打ちぎわ」までが主眼であったが、おまけとして軍事遺産、特に無整備の大川山堡塁や紀州越への旧大川峠をたどれたのが興味深かった。

記:翁長 写真:西村(晶)